僕らの小さな夏祭り。
4 彼と炭酸飲料
私たちは数秒の間、お互いを見つめあった。
それはとても長くて、永遠に思える程だった。
そんな時間を破ったのが、「急いで、美夏ちゃん!」と叫ぶ渡部さんの声だった。
ハッと我に返った私は、「いけない!」と慌てて彼から目を逸らし、傍にあった「飲料用」と書かれた段ボールへと手を伸ばした。
持ってから後悔する。これ、結構重い。けれどなんとか腕の中に収めた時、ふいに軽くなった。
見ると彼がすぐ目と鼻の先にいた。
またもや息が止まった。
「俺が運ぶから、先に受け渡しの方へ行って」
ぼうっとした頭を抱えたまま、私は指示通り、クーラーボックスへ走った。
数秒遅れて、彼が段ボールを運んできてくれた。ありがとう、と渡部さんは言うなりガムテープをはがしていく。私は何も言えなかった。今度は何故だかまともに顔を見ることが出来ない。
とにかく急いで、真新しいペットボトルを取り出す。ぬるいけど申し訳ないです、と謝りながら、並んでいた人たちへ受け渡していく。列は更に伸びていた。
券を受け取ってはボトルを渡し、また次の人から券を受け取り、渡して……の繰り返し作業。途中で目が回りそうになる。それでも必死で手を動かし続ける。頭が空っぽになった。
時折、段ボールをこちらへ運んでくれる裕也君が見えた。けれど私はその姿からすぐに視線を逸らす。意識は、すぐに作業へと沈んでいった。
※
「ふぅ……。やっとおさまってきたわねぇ」
隣で渡部さんが呟くのを聞いて、ようやく私は手を止めた。
見れば、高く詰み上がっている空の段ボールに、半分の水しか入っていないクーラーボックスが残されていた。
「お疲れ様。美夏ちゃん」
なんとか笑顔を作りながら汗を拭った私。次に渡部さんは私の背後へ視線を遣りながら、「それと、裕也君もね」と笑った。
あれ、とそこで気付いた私は、慌てて振りかえった。
首に掛けたタオルで汗を拭いながら、「お疲れっす」と言いながら笑う裕也君がいた。
ばくん、と心臓が一気に跳ねた。
手伝ってくれたんだ。
でも、いつからそこにいたんだろう?
私はやっぱり何も言えずに、今度は間抜けたみたいにその顔を注視してしまった。
気付いた彼もこちらを見、やがて緊張したように頬を引き攣らせた。
次第に口の中が乾いてくるのを感じた。
――何か、言わなきゃ。
「ありがとう」でも「久しぶり」の一言でもいいから、何かを言わなくちゃ――。
けれどそう思う程に、口や喉から水分が逃げていって、挙句には唇までカサカサになっていく。
どうしよう、どうしよう、どうしよう。
金縛りにあったように動けなくなって、心臓だけがばっくんばっくんと暴れていた時だった。
「……そんじゃ」
そっけない一言を口にした彼は、ふい、と私に背を向けた。
そしてそのまま、去っていこうとする。
ようやく足が、一歩動いた。
待って――
「おお! やっぱ裕也じゃねぇかぁ!」
突如、横から大きな声が飛んできた。
思わず身体が数センチ飛び上がってしまった。
「なんだおめぇ! 全然顔見せないから死んでるかと思っただろう。
しかもなんだぁ? こんなに頭キンキンにしやがって。将来禿げるぞこりゃ」
ケンイチおじちゃんが、がっはっは、と豪快な笑い声を立てて裕也君の背中を叩いた。細長い彼の身体がふらりとよろめいた。彼の瞳が段々と大きく見開かれていくのが見えた。そして、おじちゃんを指差して、一言。
「え……うっそマジで?
ホントに、ケンイチじいちゃん?」
「おいおい、『じいちゃん』はねぇだろ! 昔から言ってるだろうがっ!」
ケンイチおじちゃんは、今度は愉快そうに裕也君の頭を叩いた。
べし、と小気味いい音が響いて、同時に裕也君が「いってぇ!」と頭を抱えてしゃがみ込んだ。
「いやぁ、実は二人が働いていたのを後ろから見てたんだけど。
久しぶりにこのコンビに会えると思ってなくてなぁ、最高に嬉しいぞ!
ほら。おめぇらの為にジュース持ってきてやった、飲め飲め!」
言うと、おじちゃんは傍にいたシズばあちゃんの手から強引に二本の缶を奪い取り(まぁいきなり何するかねこの人は、とシズばあちゃんが言った)、私達に差し出してきた。
裕也君はゆっくりと起き上がって、「まったく、なんなんだよ」と片手で頭を押さえ、苦笑いでそれを受け取った。
私も、にんまりと笑みを浮かべるおじちゃんから、「ありがとう」と缶ジュースを貰った。炭酸飲料だった。周りにびっちりと水滴が浮かんでいて、すっかりぬるくなっている。
ケンイチおじちゃんのペースにすっかり巻き込まれるまま、私たちはテント下のパイプ椅子に並んで座った。
お互いになんだか気まずい空気を纏いながらも、とりあえず手にした缶を開けることにした。
プルタグに指を掛け、同時に力を込めた時だった。
「わっ!」「きゃっ!」
二本の缶から、勢いよく液体が噴きだしてきた。
噴水を思わせる程の勢いっぷりに私たちは慌てた。思わず缶を机の上に置いて遠ざかる私の隣で、裕也君は両手でその口を蓋するのに必死になっていた。
しばらくしてから、ようやく噴出が落ち着いてくる。ほっと胸をなでおろすと、「おいっ!」と裕也君がケンイチおじちゃんの方を見ながら叫んだ。
その先には、背を向けて楽しそうにスキップするおじちゃんの姿。あれは絶対、企んだな。
自分の手を見れば、腕までかけて炭酸飲料まみれになっていた。生ぬるい夏の空気に触れてベタベタする。鼻につく炭酸飲料の匂い。とんだ災難だ。
ったく、と呟いた裕也君と自然に視線が合い、そしてお互いを労うように苦笑しあった時だった。
「あ」
ふいに、昔の記憶が蘇ってきた。気付けば声が漏れていた。
次に、彼も同じように「あ」と漏らした。
丸くなった彼の瞳には、同じ表情をしている私が映っているのが見えた。
昔――小学生の頃だ。
ケンイチおじちゃんから、今と同じように炭酸飲料入りの缶をもらったことがある。
あれはまだ、裕也君と自然に一緒に居られた時だ。
二人で「やったね」とはしゃぎ合いながら、同時にプルタブを起こした時だった。
勢いよく飛び出す中身。短く悲鳴を上げて同時に缶を落とした私たち。一人高笑いして逃げようとするおじちゃん。私たちは一緒にぷりぷりと怒りながら、その大きな背中を追いかけたっけ。
最初はおぼろげだった映像が、段々と頭の中で鮮明な色を灯し始める。
「そういえば……」と、私が思わず口にした時だった。
目の前の裕也君が「ぷっ」と小さく吹きだした。え、と驚く暇もなく、彼は次にお腹を抱えて、大声で笑いだした。
腹の底から響くような、豪快すぎる笑い声。なんだか可笑しくなってきて、耐えきれなくなった私も釣られて「ぷっ」と笑ってしまった。
テントの下に響く二つの笑い声は、炭酸飲料の香りと共に夏の空気へ溶け込んでいった。
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