僕らの小さな夏祭り。

5 懐かしい思い出


 仕事がなくなり手持無沙汰になった私たちは、テントの下で雑談を交わすことになった。

 どうやら裕也君も、今年になって始めて役員の仕事が当たったらしい。でも両親は旅行に行ってて不在の為、一人でやっているのだと教えてくれた。
 ということは、お母さんは裕也君がいることを知っていたことになる。何故、教えてくれなかったのだろう。それよりも、あれから未だにお母さんの姿が見えない。思わず私は勘ぐってしまう。お母さん、わざと消えたな? 自然と漏れたため息は、けれど心地の良いものだった。

 空はもう闇に包まれつつあり、相変わらずしかめっ面した分厚い雲がべったりと張り付いていた。
 今スピーカーから流れている曲は、昔よく観ていたアニメのエンディングに使用されていた、盆踊りの曲だ。
 とても明るいテンポの曲調で、鉢を振るう女の子の背中も楽しそうに見えた。その周りで輪になって踊る人たちも。

「最近のガキは、なんていうか駄目だよなぁ」

 裕也君が突然呟いた。隣で、パイプ椅子にだらりと背をもたれながら目の前の盆踊りを見つめている。
 私は「どうして?」と問いかけた。すると彼は公園の隅っこを指差す。目で追うと、数人で群れを作っている子供たちがいた。踊っている人たちを指差しては、クスクスと笑っている。

「アレ、内心じゃ馬鹿にしてるんだろうけど。きっと本音じゃ、自分も踊りたいと思ってるんだろうな」
「……そうなのかな?」

 首を傾げると、「そうだよ」と裕也君は大きく頷いた。「でも、恥ずかしくてそれが出来ないって心境じゃね?」
「そりゃあ、恥ずかしいと思うよ? 私も昔踊っていた時、恥ずかしかったような記憶、あるし」

 裕也君はパイプ椅子から身体を起こし、まじまじと私を見つめた。「嘘つけよ。俺と盆踊り勝負してた時、めっちゃ楽しそうに踊ってたぞ、お前」
「うわぁ! 盆踊り勝負!」久々に耳にする響きに胸が震えた。頬が自然と緩む。「懐かしいね! そういや二人でやってた! どっちが上手く踊れたか、とか、どっちが長く踊れるか、とか耐久戦までやってさ」
「そうそう。んで、勝ったらかき氷もう一杯食べられて」

 裕也君がにやりと笑う。胸が高鳴るのを感じた。同時に、当時の映像や心情が、鮮やかな色を伴って全身に溢れ返ってきた。

 役員の大人たちに挟まれながら、小さな私たちは懸命に身体を動かしていた。
 舞台上にいる浴衣の人たちの動きを真似すべく、精一杯見上げて。全てはかき氷の為に。
 隣の隣に裕也君。
 彼も真剣な眼差しで、大げさなほど全身を動かしていた。
 その姿は私の童心に火を燃やした。絶対に負けるもんか、と。
 土まみれになってさらさらになるサンダルの足の裏に、耳の中で響き続ける盆踊りの曲や太鼓の音に、額に滲む汗。時折視界を遮る提灯の光が、すごく眩しかった。

 そして曲が終わる度に、裕也君と一緒に急いでケンイチおじちゃんの元へ走っていった。『どっちが上手く踊れた?』と。
 おじちゃんは決まって同じように笑いながら、『裕也は男っぽく潔かったぞ!』と口にする。
 わーい、と喜んでかき氷を手にして自慢げに食べる裕也君の姿が、とても腹立だしかったのも懐かしい。
 泣いて駄々をこね、シズばあちゃんに無理して買ってもらったこともあったっけ。私はよく「"だんじょさべつ"だ!」と叫んでいた気もする。

「あ。あと、盆踊りが休憩中はあの遊びもやってたよな。あそこの滑り台で、『落ちちゃ駄目よおにごっこ』」
「うんうん! やってたやってた!」

 公園の隅っこにある、すっかりペンキが剥げている滑り台を見た。
 上り階段とローラー滑り台の間は、丁度ジャングルジムのような形になっている滑り台。そこで、小さな子供達が腰かけてお喋りしていた。
 私は瞳の奥で、当時小学生だった私と彼の二人が、滑り台から落ちないようにおにごっこしている映像を重ねた。
 ふいに鉄の匂いが鼻腔を刺激してくる。そうだ。遊んだ後は手が鉄臭くなって、洗っても中々落ちなかったんだよなぁ。
 肺を満たしている生ぬるい空気を全部押しだすように、細く長い息を吐き出すと、替わりに胸が一杯になるのを感じた。

「本当に……懐かしいね」
「だな」

 私たちは、黙って目の前の盆踊りを見守った。
 昔に比べると踊る人が少なくなった気がするけれど、それでも心が浮き立つ雰囲気だけは何一つ変わっていなかった。


 ――いつから、裕也君との距離が途絶えてしまったのだろう。
 ふとそんな疑問がよぎった。
 私はそっと隣を盗み見た。高い鼻筋が目立つ横顔。遠い眼差しは心なしか優しく見える。ふいに金髪の頭がちかりと眩しく光った気がした。あれ。そういえば、中学の時は茶髪じゃなかったっけ? そこで私はハッと気付いた。

 ……嗚呼、そう。中学だ。

 私と裕也君の夏祭りが終わった時期が、その頃だった。
 そっと、私は目を閉じた。

 ※

 小学校入学時、同じクラスで近所ということもあって仲良くなった男の子が、裕也君だった。

 クラスで二人一緒に馬鹿騒ぎしたり、帰り道を石蹴りしながら歩いたり。お互いの家に遊びに行くのもしょっちゅうだった。毎日がとても眩しくて、ほとんどが彼との思い出の色に染まっている。
 そんな私達が一番楽しみにしていたのが、この公園のお祭りだった。正確には、「盆踊り大会」。
 とにかく二人で大はしゃぎしていた。いつの間にかその光景は近所で定番になり、ついにはとても仲の良いコンビだと有名になった。

 学年が上がって男女の意識が芽生えるにつれ、私たちは学校であまり遊ばなくなった。一緒に居るだけでとても気恥かしくなって、見かけても軽く挨拶する程度になってしまい、やがて帰り道も別々になった。
 それでもお祭りの時になれば、そんな男女の垣根なんか忘れて、二人で馬鹿みたいに暴れていた。
 このお祭り独特の磁力に引きつけられるように。

 友達から、「美夏ちゃんは裕也君が好きなの?」と聞かれた時があった。
 その時の私は「好き」という感情が良く分からなくて、「分からない」と答えていた気がする。
 けれど距離が離れるにつれて私は気付いた。
 二人の時だけに感じていた、あの心臓が身体の中であちこち跳ねまわる感じは、きっと「好き」の感情に当てはまるのだな、と。
 学校の中でももっと彼と話したい。遊びたい。
 でも、出来ない。恥ずかしい。
 小さい頃とはもう違うんだな、と実感した。

 
 そして、中学一年。お祭り当日に、私は寝坊した。
 バトミントン部に入っていた私は、休日も学校へ行っていた。その日も朝から夕方まで活動していて、どっと疲れていた。
 まだお祭りが始まるまで余裕がある。そう思って、一時間程度寝るつもりだった。けれど実際は、お祭りが終わる間際までベットの中にいた。
 どうして起こしてくれなかったの、とお母さんを責め立てながら(お母さんは『だって気持ちよさそうだったから』と言っていた)、慌てて公園へ走った。裕也君、待たせちゃったかな。

 けれど、彼は居なかった。
 既にお祭りの盆踊りは終わり、最後に定例で行われる抽選会の最中だった。ケンイチおじちゃんに慌てて聞くと、裕也はもう帰ったぞ、と教えてくれた。

 心にずきりと痛みが走り、どくどくと不整な音を立てていたのを、苦しいほどに覚えている。
 悪いことをしてしまったという罪悪感だけが重りのように両足に圧し掛かって、しばらくは動くことが出来なかった。
 だから翌日、裕也君のクラスまで急いで足を運んだ。周りからの好奇な視線がちょっぴり胸に刺さった。だから私は早口で、昨日はごめん、と謝った。そしたら裕也君も俯きがちに言った。「気にしてない」と。続けて、「俺、もう行かないと思うけど」。

 その一言で、私達の夏祭りは終わってしまった。

 私のせいだ。
 その日以来、裕也君に対する罪悪感が染みのように胸にこびりついた。
 裕也君とすれ違っても顔を見れなかった。彼も私のことを視界に入れていないように避けていたかもしれない。お祭りにもぱったりと足を向けなくなり、その存在すら忘れかけていた。

 結局、同じクラスになることはなく、まともに会話を交わさないまま中学を卒業した。
 高校も、別々の道へと歩を進めた。
inserted by FC2 system