ティーンエイジ・エール

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 祐子が退学処分を受けたのは、それから一週間後のことだった。

 その日の朝はやけにざわついていた。いつものような馬鹿笑いに溢れた能天気な賑やかさではなく、何か重大な出来事に心が浮き立っているかのような、異質な興奮。教室に入ってから、すぐに私はそれを察知した。
 でもどーせ、しょーもないことなんでしょ。勝手にそう決めつけて、一人どかりと席に着いた。
 絶え間ない会話が四方八方で飛び交っている。嫌でもその内容が耳に入ってきてしまう。いつの間にか、私はそれに意識を奪われていた。

 ――ねね、うちの学年から退学処分者出たってホント?
 ――マジらしい。こんなこと初めてじゃね?
 ――すっげぇ。そいつ英雄だな。伝説に残るぞ! で、何やっちゃったわけ?
 ――それがさ、万引きっぽい。センコーらも妙なところには目をつけるんだな。
 ――万引きぃ? そういや、この近くで万引きしてるグループがあるって噂があったなぁ。

 "万引き"。
 瞬間、その単語がぬめりとした気味の悪いモノとなって、私の背筋をなぞっていく。全身の肌が粟立ち、耐えきれずに身震いした。
 頭の中で、悪い想像だけが勝手に膨らんでいく。……駄目だ、抑えろ。膝の上の両手をぎゅっと握りしめた。
 まるでゲームを楽しんでいるようなクラスメイトたちの声が、否応なしに届いてくる。

 ――おい、最新情報ゲットしたぞ! なんか、隣のクラスのヤツらしい!
 ――えぇ、だれだれ? めっちゃ気になるぅ!
 ――俺、さっきそのクラス行って確認してきたんだ。
   大原、だってさ。大原祐子!

 一時限目の授業は、学年集会に変更となった。
 二年生だけが集められた体育館には、例の噂話だけが生徒たちの間を駆け巡っていたけれど、やがて舞台上に学年主任の先生が立つと、一気に静まりかえった。
 そして誰もが興味津々な表情で、その口から語られる真相に耳を傾けた。

 祐子は一昨日、近くのコンビニで万引きしようとしたところを、店員に捕まってしまったらしい。つまり、失敗してしまったのだ。
 バックからはその店の商品である化粧品数点とお菓子数袋が発見され、最初は否定していた祐子だったけれど、のちに激しく泣きじゃくりながら「ごめんなさい」を連呼していたという。
 連絡を受けた祐子の両親がしばらくしてから到着し、裕子と一緒になって何度も何度も頭を下げた。結果、店長の配慮により警察沙汰にはならなかったようだ。
 けれどもその事実を知った学校側は、とても重大で看過できる事態ではないと判断し、彼女へ退学処分を言い渡した。
 学年主任は、宣教師のごとくそう告げた。

 どうして。
 なんで祐子だけが、そんな目に遭わなければいけないの?
 だったら、よく窓ガラス割ってる奴らや、トイレで隠れてタバコ吸ってる奴らは、一体何だっていうんだ……!

 ぐつぐつと腹の底で煮たぎっていた感情はやがて暴走をはじめ、歯止めも効かなくなり、ついには噴火した。真っ赤なエネルギーが脳裏を突き抜ける。一気に身体が熱くなって、目の前が真っ赤になって、前後も分からなくなる。
 出口を求めたエネルギーが、ついに口を突いて飛び出した。

「あんたら黙れよ、このクソどもがっ!」

 私は立ち上がり、そう叫んだ。
 瞬間、体育館内がしんと静まり返る。耳が痛くなるほどの静寂。次に、様々な視線がこちらへ向けられるのを肌で感じた。
 驚きの視線、咎めるような視線、そして――次のハプニングに興奮する視線。

 ヤメロよ。
 そんな、玩具を楽しむような目で、こっち見んな……っ!

 ぐるぐると視界が回りだす。気分が猛烈に悪くなる。吐き気が胃を襲ってくる。耐えきれなくなり、その場から駆けだした。先生の制止の声も無視して真っ直ぐに走り出す。
 私は近くのトイレの個室に閉じこもると、洋式便器の中へと嘔吐した。幾分か、気分が落ち着いてきた。

 ――もう嫌だ。あんな奴らと、一緒になんていたくない。
 今なら、あの時、居酒屋で祐子が言ってた言葉にも強く強く頷ける。祐子と一緒に万引きだって何だってやっていける自信がある。
 あぁ、祐子、祐子……っ!

 ポケットに仕舞ってあった携帯を取り出す。手が震えて上手く操作が出来ない。裕子の携帯番号を呼び出す。それから苦心して通話ボタンを押すと、祈るような気持ちで、耳へと押し当てた。
 十回目の呼び出し音で、やっと繋がった。

『……何の用』

 一週間ぶりに聞く祐子の声は、低くくぐもって聞きとりづらい。それでも声が聞けただけで嬉しかった。慌てて口を開く。

「ゆ、祐子……! わ、私、あのね、私……っ」

 けれども、喉がつかえた。上手く言葉が出てこない。そこで、自分がひどく戸惑っていることに気付いてしまい、私は押し黙った。
 一体、祐子とどんな言葉を交わすつもりだったのだろう。今更「私も一緒に万引きしたい」なんて伝えても、遅すぎるっていうのに。
 携帯からは、じじじと無機質な機械音だけが聞こえてきて、鼓膜をぴりぴりと刺激してくる。やがて、氷のように冷たい声が聞こえた。

『面白かった?』
「……え?」
『面白かったか、て、聞いてるんだよ。私が一人、学校を追われる身になって』
「ち、ちがっ! 私は、ただ、」

 瞬間、うっせぇんだよ、と鼓膜を破かんばかりの金切り声が響き、私は全身で竦み上がった。

『あのなぁ、テメぇに同情されるのが一番うざってぇんだよ! 私の気持ちなんて、何も知らないくせにさ!』
「……え?」
『良いよなテメぇは。今までずっと学級委員とかやって"良い子ちゃん"を演じてきたんだから。
 だからあの時、あたしの誘いを断ったんだろ。自分だけ大人しくしてればこんな目に遭わずに済むとかなんとか思ってよっ!
 どうせ心の中じゃ、あたしのこと鼻で笑ってんだろ。バカにしてんだろ!』
「そ、そんなっ! 違う、祐子、違うってば! わ、私、断ってなんか、」
『もういい! 聞きたくねぇんだよ、その声とか。もううんざりだ、二度とかけてくんなっ!』

 ぶちっ、と強引に引きちぎるような音がしたのち、通話が途切れた。ツーツーと終わりを告げる電子音だけが、頭の中に響いた。
 私は扉に背中を預け、そのままずるずると崩れ落ちた。全身が悲鳴を上げているようにがくがくと震える。心臓が喉元で脈打っているみたいで息苦しい。

 違う。違うのに。私は祐子と同じなのに。あんな、バカみたいにへらへら笑ってるやつらとは違うのに。祐子のことバカにするつもりだなんてこれっぽっちもないのに。
 なんで、こんな――。

 胃の底から酸っぱいものがまたもやせり上がってきて、私は便器の中へと顔を突っ込む。けれど何も吐き出されてはこなかった。腐った魚のような匂いが鼻をついてくる。
 便器の底に、茶と黒が混じった染みがこびりついているのが見えた。それらは私の目の奥にも移ってきて、視界がみるみる薄汚くなっていく。
 金縛りにあったかのごとく、携帯を持つ手がぴくりとも動いてくれなくて、だからいまだに片耳からは、あの淡々とした電子音が――終わりを告げる音が、途切れることなく流れ続けていた。

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