ティーンエイジ・エール

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「お、綾音。まだ残ってたのか」

 私以外は誰もいない放課後の教室に、沢原がひょっこりと現れた。陽気で間抜けた声が反響していく。
 げ……。また出たよ。私が鬱陶しいものを見る目を作って視線を送ると、沢原はへらへら笑いながらこちらに歩み寄ってきた。そして私の机の上にある日誌を見て「おぉ」と声を漏らす。

「偉いなぁ。ちゃんと日直の仕事をしてくれるだなんて。感心感心」
「べぇっつに、ちゃんと・・・・やってるわけじゃないですけどね」

 つんけんと言い放ち、私は自分の担当ページを開いたまま、沢原へ見せつけた。ほとんどぐちゃぐちゃで読めないであろう字を見て、沢原はがははと笑った。

「まさに綾音っぽい字で、先生、好きだぞぉ」
「……はぁ?」

 駄目だこの担任。完全にどーかしてる。
 未だに続く笑い声を無視し、大きなため息を吐いた。まともに相手をしていたって、しょーもない。
 それでも私は、日頃溜まっている思いをぶちまけるように口を開いていた。

「私の相手してる暇があるなら、他の仕事でもしてたらどーなんですか。てか、いちいち私に構うのやめてくれません? 他の女子といちゃついてれば良いのに。まとわりつかれると、すっごいうっとーしい」

 言いながら、日誌の感想欄に「今日も平和でした。」と書き込む。それから急いで机の中の教科書を鞄に詰め込み、帰り支度を整えてから立ち上がろうとした時だった。

「先生はな、綾音のこと、ちゃんと分かってるぞ」 

 目の前が、突如大きな影に覆われた。

 ハッと視線を上げれば、沢原が目と鼻の先にいた。前の席に腰掛け、私の机で勝手に頬杖をつきながら、じっと私を見つめてくる。
 その顔の半分は、午後の日差しに照らされて眩しかった。

「綾音が、普段は平気にふるまっているけど、実は心の中ですごく苦しんでいること、先生はちゃんと知っているんだ」

 驚くほど艶めかしい声に、胸の奥の脆い部分を直球で狙ってくるような言葉。
 私の気持ちが激しく揺さぶられる。同時に、頭がかぁと熱くなる。
 何なの、この男は、一体。

「ばっかじゃないの。意味分かんないんだけどっ!」

 ばしん、と机を両手で叩きながら私は叫んだ。
 一層きつく睨みつける私にも関わらず、沢原は更に顔を寄せてくる。つんとタバコの匂いが鼻を刺す。

「無理しなくていいんだぞ。先生にだけ、お前の辛い気持ちを打ち明けてくれればいい。
 俺、お前のこと、本気で好きだぞ」

 途端、私の心と体が、同時にぎゅうと締め付けられる。苦しくなる。
 目の前には、下心丸出しの男がいた。口元を見れば、ちろりと真っ赤な舌がはみ出していて、ゆっくりと下唇を舐めていく。それは熟れたような赤で――昨日も同じ赤を見た気がして――。
 そうだ。祐子と同じ、毒蛇の舌だ。

 『もうちょっと垢抜けてみたらどうよ。それじゃ、何も変わらないよ』

 昨日、祐子から言われた台詞が耳の奥に蘇る。締め付けられた心が、今度は上下左右に揺さぶられて、気持ちが悪くなる。

 どうして。
 なんで最近は、周りの人間がこうして揺さぶりをかけてくるの。
 しかもこの男に限っては、私のことをまるで知っているかのように――!

「冗談じゃないっ!」

 私は声の限り叫び、教室から飛び出した。
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