ティーンエイジ・エール

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「にしても、もうすぐ中間じゃん。なんも勉強してないわぁ」

 小さな居酒屋の隅にある二人用テーブルで、私と向かい合って座る祐子がにたりと笑った。パンダみたいに縁を真っ黒にさせた目が細くなり、塗りたくったチークのせいでリンゴ色になっている頬が緩んだ。
 学校に居るときと同様、化粧だなんて基礎ベース程度しかしていない私も、はははと笑って言った。

「てかさぁ、二年になってから勉強なんてほとんどしてないよねぇ。去年の夏休み前までは、なんとかやってたって感じだけど」
「だよね。そういや一年の三学期後半になってからだよねぇ、皆がだらけ始めたの。
 あたし、先輩から聞いたんだけどさ、それがうちらの高校の伝統らしい。さすがアホ学校だね」

 からからと陽気に笑う祐子。色の抜けた茶の髪がさらりと揺れる。厚塗りされたその顔は、とても楽しそうだ。

 彼女も私と同じく、受験に失敗してあの高校へなだれ落ちてきた一人だった。
 その第一志望というのも、私が狙っていたところと同じで、しかも私とほぼ状況が似ていたものだから、一年の時にたまたま席が前後になって語り合った私たちは、すぐに仲良くなった。
 初期の頃はよく二人でクラスメイトたちを見下し、「駄目だよねぇこいつら」なんてバカにすることで、互いの心の傷を癒してきた。
 それは、二年になって別々のクラスとなった今でも、こうして定番の居酒屋にて語りあうことで継続されている。
 
 お互いに、注文した飲み物を口にしながらおしゃべりを楽しむ。私は、今日の昼にあった沢原のことをネタにした。 

「でさぁ、あいつに言われたんだよねぇ。『女としての魅力がない』って。マジむかつくと思わん? お前、女の魅力の何を知ってんだよ、みたいなね!」
「あっははは! なんだそれ! 沢原きめぇ! でも当たってる!」
「なんだとぉ!」

 腹を抱えて大声で笑う祐子の頭を、ぺしりと軽く叩いた。
 笑いすぎたのか、目から黒い涙を流しつつ、祐子が顔を上げた。

「でもさぁ、あの学校ってマジで変人が多いよね。あ、そういや最近じゃ、学校の屋上で雄叫び上げるような頭狂ったヤツもいるっぽいし」
「へぇ? そんなヤツ、いるんだ」
「知らなかった? 有名じゃん」にやりと祐子は笑った。「暗くなると、屋上から時々男の叫び声が聞こえるっぽい。うちの知り合いも、部活帰りに偶然聞いたんだって。獣みたいな感じだってさ。まぁ、誰かは知らんけど」

 そうなんだ。適当に相槌を打ちながら、テーブルの上のフライドポテトを口に放り込む。強い塩味がぴりぴりと舌を刺してくる。
 雄叫び、か。

「もしかしたらその人、学校に対して鬱憤が溜まっているのかもね」ふと思いついたことを私は口にした。「だから、わざと屋上で叫ぶことで日々の鬱憤を晴らしている、とか? ま、私の勝手な想像だけど」
「鬱憤、ねぇ……」

 なんだそら、と裕子は鼻で笑った。けれどそれきり、ぷつりと黙り込んでしまった。
 不思議に思って、俯きがちになった彼女の顔を覗きこんだ時だった。そこに思わぬ表情が張り付いているのを見て、息が一瞬止まりかけた。
 彼女は何の前触れもなく顔を上げ、陰を濃くさせた表情のまま、口を開いた。

「ねぇ。なんでうちらってさ、オトナに言われるがまま、学校行ったり勉強したりしなきゃいけないわけ、て思わん?」
「……へ?」

 突然何を言っているのだろう……? さっぱり訳が分からなかった。
 私は軽く笑い流し、「何さ。どしたん?」と声をかけたのだけれど、祐子の表情は相変わらず真剣そのものだった。

「一年の時は、まぁ、別にいいかなって思えたんだよ。高校三年間なんて、中学みたいにあっという間に過ぎていくんだろうなって思ってたし。それに、綾音もすぐ傍にいてくれたしね。
 でもさぁ――」

 ストローの先で、グラスの中の氷を乱暴につつきはじめる裕子。その目の前に座る私は、ただただ戸惑うしかなかった。

「二年になってクラスのアホな女子たちとつるんでいくうちに、バカバカしくなったの。あたし、なんでこんな高校通ってるんだろう。なんでこんな低レベルなやつらといるんだろう。なんであの時、受験に失敗しちゃったんだろう、て。
 そんなことばっか考えちゃうせいで、最近じゃイライラしてばっか。さっき綾音が言ってた、『鬱憤』がずぅっと積もっていく感じ。ホントにさ、やってらんない。マジ限界なのよ。
 ……だから、あたし、考えたんだ」

 ふいに、祐子が顔を近づけてきた。思わず身体が強張る。
 彼女は、私の耳元でささやいた。

「うちらで一辺、思いきったこと、やってみない?」

 ぎょっとしたあまり、仰け反りそうになった。
 目と鼻の先にいる裕子の両目には、隈がはっきりと浮かび上がっていて、口角には深い笑窪が作られている。
 今まで見てきた中で、コントラストがくっきりと表されている一番不気味な表情だった。ぞくりと背筋に戦慄が走る。

 続けて祐子は言った。
 マンビキだよ、と。

「学校の近くで、マンビキした商品をある団体が買い取ってくれるシステムがあるっぽい。この前、学校で偶然聞いたんだ。
 ねぇ、彩音。こっちの方が、アホみたいに勉強しているより、すごく楽しそうだと思わない? もっとずっと刺激的でしょ?
 だからさぁ、一緒にやらない? マ・ン・ビ・キ」

 熱を持ちはじめる裕子の声。すっと冷えていく私の鳩尾。

 マンビキ――まんびき――万引き。

「い……嫌だなぁ祐子。万引きだなんて、そんな……」口から漏れた私の声は、かすれていた。「だって、もし学校側に知れたら、きっとヤバいことに」
「私、本気だから」

 彼女の瞳は、そう宣言する通り、本気だった。妖しくぎらついているそれが、私を真っ直ぐに射抜いてくる。耐えられなくなって、視線を逸らす。
 口の中が急速に乾いていく。耳元で激しく脈打つ音が聞こえてくる。

 裕子の気持ちが分からないわけじゃない。
 むしろすごくよく分かる。痛いほどに分かる。
 だけど何故か、私は首を縦に振ることが出来なかった。

 何も言えず、テーブルの上のしなびれたポテトをじっと見つめていたら、ぽんと肩を叩かれた。

「……ゴメン。急に誘っちゃって。そりゃビックリするよね。
 でもさ、考えといてよ。あたし、綾音だったら一緒にやってくれるって信じてるから」

 ハッとする程につやつやで、オレンジに光る彼女の唇が、視界に飛び込んできた。そこからはちろりと真っ赤な舌が覗いていて、なぜか毒蛇の舌のようなものを連想してしまって、私は、それに睨まれたカエルの心境ってこんな感じなのかもしれないな、などとどうでも良いことを考えていた。

 祐子は言う。

「一つだけ、忠告しといてあげる。
 綾音さ、もうちょっと垢抜けてみたらどうよ。それじゃ、何も変わらないよ」
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