ティーンエイジ・エール
2
次の授業も、休み時間の延長でしかなかった。
クラスメイトの多くは、てんでんばらばらとお喋りに勤しむ。あるグループはトランプに打ち込み、またあるグループは携帯を片手に盛り上がる。いくつか寄せ集められた机の上に、もちろん教科書の姿なんて見当たらない。
教卓に立つ老人の先生はといえば、英語の教科書を顔の近くに寄せて、絶えず独り言のように呟いている。すっかりと自分の殻に閉じこもっているようで、恐らく私たちのことだなんて、全く見えていないんだろう。
これが、二年の今となっては当たり前の光景だ。
そして私も普段と同じように、教科書を枕にしていざ寝ようとした時だった。
がたんと大きな物音がした。ハッとして顔を上げる。
教室前方の扉が大きく開け放たれていて、そこに一人の男の子が立っていた。他の男子に比べるととても背が低く、どぎつい金髪が目を引く。
その子の全身が泥や傷にひどくまみれていることに気が付いて、私は更に驚いた。
教室中の誰もが、私と同じようにその子へ視線を釘付けにさせているのを、気配で感じた。先生に至っては、曲がった背中を更に曲げて、突如出現した男の子を怯えた瞳で見つめている。
クラス全員分の視線を浴びたその子は、鋭く目を光らせて教室中をさっと見渡したのち、一つだけ空いている席へ向かってつかつかと歩きはじめた。しんと静まりかえった教室内に、その子が自分の机目掛けて鞄を投げつける音や、乱暴に椅子を引く音などが、長く尾を引いていく。私たちは、ただじっとその様子を見守るだけだった。
やがて席へ座り込むと、その子は天井を見上げるようにして、ぴくりとも動かなくなった。まるでネジが切れた人形のように。
数秒ほど経ってから、教室内の時が再び動き出す。そしてまた、あの騒がしさへと戻っていく。
私の後ろに座る男子たちの、ささやきあう声が耳に届いてきた。
「五十嵐のヤツ、また先輩らに遊ばれたんだな」
「四月になってからだっけ? ホントにバカだよなぁ。サッカー部の先輩らなんてマトモな人いないし、ほっときゃ良かったのに。自分から突っかかるなんてよぉ」
「ミニチュアサイズで生意気なお子ちゃまだから、しゃーねぇよ」
それから男子たちは、ぎゃははと笑いあった。
私はそっと、背後の席を窺った。
周囲が異常に盛り上がる中、孤立した島みたいな席で、あの男子は――五十嵐君はただ一人座っていた。
乱暴に投げられた彼の鞄は、後ろのロッカーの近くに虚しく横たわったまま、カーテンの陰に隠れてしまっている。そして、最初に現れた時と同じ鋭い光をいまだに放ちながら天井を見上げている彼の瞳にも、どこか陰があるように見えてしまい――。
瞬間、私はとっさに視線を逸らした。
彼がここで一人暴れる姿を何回か目にしたことはあったけれど、あんな陰を目撃してしまったのは、今回が初めてな気がする。
胸の内に、複雑な感情の波が襲う。途端に息が苦しくなる。
……いけない。目を閉じた。打ちつける感情を静めようと、一つだけ深呼吸。大丈夫、大丈夫だ。そう言い聞かせる。次第に、すっと気持ちが静まっていった。
机へ向き直ると、私は枕にしようとした英語の教科書をぱらぱらとめくった。やっぱり、何が書いてあるのかさっぱりだ。
誰だよ、アルファベットなんて考えたやつ。世界の言葉が、全部日本語になってしまえば楽なのに。
……そんなことを考えたって、仕方ないけどさ。
『しゃーねぇ』。さきほどの男子の台詞がよみがえる。
しぇーねぇ。
あぁ、そうだよ。本当に、全てがどうしようもなく、しゃーねぇよ。
諦めたようにため息をついたのち、私はこの英文を解読していくことに決めた。アルファベットに埋もれて時間が過ぎるのを待とうと思った。ただそれだけの理由で。
教室内は騒がしい。やっぱりいつもと変わることはなかった。
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