ティーンエイジ・エール

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 苦心して集めたクラス全員分のプリントを差し出すと、担任の沢原はにんまりと笑いかけてきた。

「それにしても綾音。お前、最近は女としての魅力が下がってきてるんじゃないか?」
「……はい?」

 出た。こいつお得意の、生徒ナンパだ。椅子にゆったりと腰かけながら、沢原は下心満載の気味悪い視線を向けてくる。
 私は大きなため息をついた。

「先生。前から言ってるけど、その台詞寒いよ」
「だって、事実なんだからしょうがないだろう。特にその髪とか。以前に比べると手入れが怠ってるな。せっかくの可愛い顔が台無しだ」

 ははは、と少し皺が目立つ目尻を更に緩めて、私が差しだした数学プリントを受け取った。
 さすが、学校一エロい先生と有名なだけはある。職員室内でも、堂々とそんな台詞を口にするのだから。しかも、ちょうど昼休み時間ということもあって、周囲には他の先生の姿が多くみられる。けれど沢原は、彼らから向けられる軽蔑の視線なんてお構いなしと笑い続ける。
 毎度のことながら、私は変に感心してしまう。キモいのには変わりないけれど。

 引き攣る頬をやけくそに緩ませ、乾いた笑みを漏らしながら、自分の髪にそっと触れてみた。あちこちにカールされた毛先が指をちくちくと刺す。以前よりも不規則に跳ねまわっている髪。最後に美容院へ行った三月が――まだ三ヵ月前のことだというのに――遠い昔のように思えた。

「だって、美容院行くの面倒くさいし」

 ぶっきらぼうに言い放つと、沢原はわははと笑った。

「そういうところは相変わらずだなぁ。綾音は」

 などと言うそちらも、相変わらず馴れ馴れしい声音に、大きな笑い声だ。胃の辺りが途端にむずむずしてくる。
 にゃろー。調子乗りやがって。その足、踏んづけてやろうか。
 なんていう衝動を内心で抑え、私は乾いた笑みを作り続ける。四月からやけに迫ってくるこの男の言動に、私はこの先も慣れることがないのかもしれない。

 さわはらせんせぇ、と甘い声が飛んできた。見れば、見知らぬ女子三人が、職員室の扉から顔を覗かせてこちらへ手を振っている。甘くとろける笑顔は、まさに女子高生特有のそれといった感じで眩しい。沢原は、よお、と手を上げてそれに応じる。
 私は「そんじゃ失礼します」とだけ言い残し、さっさと出口へ向かうことにした。途中で、沢原の元へと喜々として駆けよる女子三人組とすれ違う。

「せんせぇ、この数Bの問題、わかんなぁい」
「なんだよお前たち。ここ、さっき授業で教えてやったばっかだろう?」
「それでもよく理解出来なくてぇ」

 わいわいと騒ぐ声を背に、思い切り扉を閉めてやった。

 ※

 教室前の廊下では、男子たちがいつものごとく走り回っていた。
 よーいどん、の合図で突き当たりまで全力疾走していく。そのたびに、どたどたと激しい足音と笑い声が絶えない。猛烈に舞い上がる埃が、窓から注がれる六月の日差しの中で狂い踊るのが見えた。
 隅の方では、女子たちが集団になってお喋りに興じていた。化粧道具やら雑誌やらを手にして、ああでもないこうでもないと真剣な顔を突き合わせている。
 皆、随分と熱心なことだ。その体力と努力を、少しは勉強の方へ回せばいいのに。人のこと言えないけど。

 喧騒に渦巻く廊下を、私は急ぎ足で進んでいく。けれどトイレの横を通り過ぎる際、そこから漂ってきたタバコの煙を思い切り吸いこんでしまい、激しく咽た。あぁくそ。横を駆けていく男子たちに気を取られていたから、トイレ前で息を止めることをすっかり忘れていた。
 数歩ほど距離を取ったのちに恨みがましく振り返ると、トイレ近くの壁にある、びりびりと引き裂かれた張り紙が目に付いた。『トイレ内で喫煙禁止!』と書かれていたそれの、「内で喫」の部分が破り取られている。もはやお手上げ状態な生徒指導の先生たちは、どうやらあの張り紙をそのまま放置しておくことに決めたらしい。

 自分の教室までの距離が、やけに長く感じられた。やれやれとその扉を開けると、クラスメイトの女子が一人、笑顔でこちらに駆けよってきた。

「ねぇ、綾音、綾音っ! 今週の日曜にさ、うちら合コンやんだけど。一緒に来ない?」

 差し出されたその子の携帯を、私は覗きこむ。けれどその画面よりも、周りをびっちりと埋めつくしている銀色のデコレーションへと目がいってしまう。
 はぁ、と思わず呟く。

「いつも思うんだけど、このデコ、自分でやってんの?」
「当ったり前じゃん。それくらい当然でしょうが」

 ぶぅ、と頬を膨らませて言うその子の髪は、けばけばしいほどの金色だった。耳には銀色のピアス、首元には銀色の十字架ネックレスがぎらつく。

「つーか、そんなことどーでもいいでしょ。で、どうなの合コン。来るの、来ないの?」
「んー……」天井へと視線を向けたのち、お得意の営業スマイルを作った。「行けたら行きたいけどね。ちょっと今、家の中が荒れてて。簡単に外出できそうにないんだ」

 相手の誘いをやんわりと断る際に使う、私の決まり文句だった。彼女は「あっそう」と言い放つと、乱暴に携帯を閉じた。指にはめられた銀のリングが、鋭く光る。

「綾音って、ケッコー容姿良いから人気あると思ったんだけどなぁー。
 てか、あれか。学級委員長さんは、マジメってやつですか」

 高校生活無駄にしてるよ、マジで。
 縁が真っ黒に塗られた瞳を更に鋭くさせて、最後に冷たくそう言い放つと、彼女は教室の隅で固まっている女子集団の方へと走り去っていった。グループに戻るとその子は早速、「ねぇ聞いてよ。綾音ってばさぁー」と私の軽い悪口を話しはじめる。たちまちに、どっと笑い声がおこった。 

「……堂々と目の前で言えっての」

 誰にともなくぼそりと呟いたら、自嘲気味な笑みが漏れた。ぽりぽりと頭を掻く。まぁ……こんな状況には慣れている。うん、大丈夫だ。
 心の奥底で湧きあがりそうになった黒い感情をなだめつつ、自分の席へと腰をおろす。自然と、長いため息が漏れていた。

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