夜の鍵 -with you-


 両手で握りしめている『夜の鍵』を胸に当て、夜空を見上げる。
 この夜が、明ければ――。
 私は、<夜の姫>になる。


 夜の鍵 -with you-

 
 昼間に降った雨の湿気を含んでいる生ぬるい風が、草を優しく揺らしていく。時折強い風となって、この丘の上にまで吹きつけてくる。地面に座る私の足に、ちくちくと草の葉が刺さる。それは少しだけくすぐったくて、少しだけ痛い。

 夜空には、闇の中で力強く瞬いている星たちが、無数に散らばっている。小さな星に、大きな星。それらの中心には、今にもぽろりと落ちてしまいそうな、丸くて大きいお月様がある。
 きっとあの満月だけが、私の居場所を知っているのかもしれない。そう思うと、なんだか少しだけおかしかった。
 丘の下に広がる私が生まれ育った集落では、暗闇に負けじと光を放っている。大きくて力強い光の塊がちらほら。皆、明日のお祭りに向けての準備で大忙しなんだ。大変だなぁ。
 ――なんて、他人事のように考えてしまう。

 なんでだろう。
 少なくとも昔の自分だったならば――ただ純粋に憧れていた自分だったならば――、一週間前に<夜の姫>を宣告された時、泣き崩れるほど嬉しくなっていたはずだ。
 なのに、今でもなお私の胸には、空虚な思いが支配していた。


 私の名前を呼ぶような、かすかな声が聞こえてきたような気がした。

「フィオナ!」

 声は段々と近づいてくる。
 親しみあるそれを、私は振り向きもせずに聞いていた。
 突然、頭に衝撃が走る。

「いった!」

 思わず短く叫び、ふり仰ぐ。
 そこには、親しみある声の持ち主である男の子が立っていた。

「何度呼んでも反応しないから、死んでるのかと思った」大きく笑いながらジオは言った。
「座りながら死ぬって……。どんだけ器用なわけ?」
「それもそーだな」

 なんて、ケラケラと笑う。私は「もう……痛かったんだから」と頭をさすりつつ、ジオを軽く睨みつける。彼は気にも留めないといった様子で、やっぱり陽気に笑い続ける。
 幼い頃からそうだ。いたずら好きで天真爛漫なジオ。
 そして――私の恋人。

 ふと、ジオの胸元で何かがちかりと光を放った。それを目にした瞬間、さっと視線を逸らした。
 彼の首からぶら下げられているのは、『朝の鍵』だった。
 
「まさかお前、ここでさぼってたのか?」 

 頭上から掛けられたからかいの声に、私は頬を膨らませる。

「別にさぼってないよ」
「お前の家族が心配してたぜ? ドレスのサイズが測れないじゃなーい、て。早く戻ったほうが良いんじゃないか」

 その台詞にちくりと胸が痛む。そうなんだ、と他人事のような台詞を小さく漏らす。


 今年一番のイベントを喜んでいるのは、私の家族や親戚たちだった。それは当たり前だ。身内が姫に選ばれたのだから。
 けれどその本人である私が、今もなお複雑な心境を抱えている。自分でもよく分からない。
 そんな現状がなんだか心苦しい。余計に胸が締め付けられる。

 私はもう一度、両手に包まれた『夜の鍵』を見つめた。少し錆びついているけれど、持ち手の部分は淡く輝いている。
 その先端では、大きく象られた月のシンボルが、自身の存在を示すようにきらりと光った。

「どうしたんだよ、フィオナ」

 気づけば、ジオが私の隣で肩を並べて座っている。彼の手が、ぽんと優しく私の背中を叩く。
 
「<夜の姫>になるの、ガキの頃からの夢なんじゃなかったのか?
 お前、ガキの頃からよく言ってたじゃん」

 まぁお前だけじゃなくて、俺ら精霊にとっちゃ全員そうだけどな、と一言付け加えて、彼は笑う。

「もっと自信を持ってもいいだろ? せっかく、姫に選ばれたんだからさ。
 ちなみに俺はすっげぇ誇りに思ってるけどな。なんせ、あの<朝の王>になれるんだから」

 私は視線を夜空に向けたまま、小さく頷くことしかできなかった。

 <朝の王>と<夜の姫>。
 成人になった精霊たちの中から、天の女神さまによって選定される、この世で最上級の存在。
 その証明として『朝の鍵』と『夜の鍵』を渡され、一週間後、村で行われるお祭りの終盤でそれらを天へかざすことにより、王と姫になる。王は朝日に生まれ変わり、姫は夜空へ溶けていく。
 つまりそれは、自分の身体と魂を全て天へささげということであって――。

 突然左肩をぐいと掴まれ、身体が左へ寄せられた。
 驚いて、呼吸が少しの間だけとまった。

「どーしたんだよ。フィオナ」

 上半身が温もりに包まれる。頭のすぐ上から、優しい声と息が漏れる音がする。
 心がどきりと跳ねる。同時に、ぎゅっと締めつけられる。

 ――あぁ。そっか。
 今、わかった。
 こんなにも複雑な心境を抱えている理由が。

 この温もりに、私はずっと、触れていたいんだ。


 耐えきれなくなって、ジオの胸顔をうずめた。

「……嫌なの」
「何が?」
「ジオとこうしていられなくなるのが」

 目頭が熱くなる。悟られたくなくて、彼の胸に更に顔を押し当てた。
 すぐ近くで、鼓動を感じる。すごく安心する。余計に涙が止まらなくなる。
 彼がすぐ傍にいてくれているという実感を、手放したくなかった。

「なんだよ、それ」

 しばらくしてから、くっくとジオが笑った。身体が小刻みに揺れる。自分の顔が熱くなるのを感じた。

「な、なんで笑うのよっ」
「いやだって、」言いつつ、ジオは笑いを堪えるのに必死そうだ。「お前が意外にお茶目なこと言うから」
「なっ」

 胸の底まで熱くなる。なんなの、こんな時にまでからかうなんてっ!
 思わず彼を両手でどんと力強く押した。ジオが仰向けに倒れる。

「結構真面目に言ったつもりだったんだけどっ!」
「そっかそっか。ごめんごめん」

 ジオはようやく笑いを収めて、けれどいつものような意地悪い笑みを残したまま、ぽんぽんと隣の地面を叩いた。
 少しだけ頬を膨らませたのちに、私も彼の隣へと、仰向けに寝っころがった。

 視界一面に、星屑の海が広がる。

「――大丈夫。一人にはならないって」

 すぐ耳元で、優しい声が聞こえる。

「俺たちがそれぞれ、<王>や<姫>になっても、離ればなれになるわけじゃないだろう」
「でも、魂全部が朝焼けや夜空に、別々に消えちゃうんだよ? そうなったら……」
「でもさ」

 ほら、と彼が指を示す。その先へと視線をたどれば、暗闇の中に浮かぶ山々がある。何なの、と私が口にする前に、「見てな」と彼は言う。
 私は何も言えず、素直にそこをじっと見つめた。
 

 それは一瞬とも、永遠とも思えるような光景だった。
 先ほどまでは一面の暗闇だったというのに、山の端から次第に空が白みをおびていく。同時に光が溢れ出す。眩しさに目を細める。
 ほどなくして、一粒の強い光の塊が顔を現す。思わず、あっと声が漏れそうになった。
 光と闇が、一つになって溶け込んでいく。

 息を吸い込む。さっきよりも冷たく冴え渡ったような空気が肺に流れ込んできた。
 綺麗だ。
 素直にそう思えた。
 まるで世界の生まれかわる姿を見ているかのようだった。

「ほら」

 だから言っただろ? と言わんばかりの、ジオの得意げな口調。

 
 私は隣のジオの手をぎゅっと握りしめた。熱い体温が掌を通じて伝わってくる。それが目の奥を更に刺激して、もう涙を止める術なんてどうでもよくなる。
 胸の鼓動はジオと一体化して、穏やかに、けれど力強く脈打っている。

 今なら、なにも怖くない気がした。

「……あーあ。<姫>になっても、ジオとまたこうやって会えちゃうのかぁ。うんざりだなぁ」
「おい。さっきと言ってることが逆だぞ」

 そして私たちは、笑いあった。


 遠くで、私たちの名を呼ぶ声がする。
 お祭りまで、あと少しだ。

 

2012.10.15 公開
お知り合いである物書き仲間さんの、「同じ題名で物語を書こう」という企画に参加させて頂いた作品。
『夜の鍵』という題名だったのですが、何故こんな極甘ベタベタなストーリーになったんでしょうか(爆)。
 


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