市民病院までは、大学から二駅ほどの距離なので、片道三十分もかからなかった。
雲行きが怪しくなってきた空の下、壮平はただがむしゃらに突っ走り、病院の自動扉を潜り抜けた。思わず立ち止まり、肩で大きく息をする。
何がこんなに自分を追いたてているのか。壮平自身にもよく分からなかった。けれど、多摩美のことがすごく気になっているのは事実だ。
『手術』だなんて、想像にもしなかった単語を聞けば、余計に。
けれど入院棟へ続く廊下を進む途中、自分の心の隅に何かモヤモヤとした気持ちがあることに、ふと気が付いてしまう。
しばらく歩いているうちにそれの正体に思い当たった。ピタリと立ち止まる。
彼女は――西原さんは、俺に手術のことを一切教えようとはしなかった。まぁ……、そりゃそうだ。ただ単に、レポート代理で知りあっただけの仲なのだし。
そう。ただ、それだけの関係なのだ。
なのに、なんで俺はわざわざ病室にまで出向こうとしているんだ?
しかも、勝手に押し掛けようとしているし(おまけに手ぶらだし)。
これって逆に、彼女の迷惑になりゃしないか……?
「……あぁ、くそ……っ」
奥底にあったモヤモヤが、今や身体全体に広がっていた。そのまま廊下のベンチへと腰かけ、前屈みになってぐちゃぐちゃと自分の頭を掻きむしるしかなかった。
一体何をしようとしていたのだろう、俺は。
けれど、勢いでここまで来てしまった。今更引き返すのも、なんだか躊躇われる。あぁでも……。
頭をむしる手の動きが、一層激しさを増しただけだった。
踏ん切りがつかない自分自身にいら立ちを覚えながら、壮平は大きなため息を吐き、伏せていた顔を上げた時だった。
廊下の先にある突き当たりを、見慣れた姿の人物が一瞬通りかかったような気がした。
身体が反射神経的に持ちあがり、足が自然とそちらの方向へと歩んでいく。T字になっている突き当たりへ直進に歩み、その人物が消えた方向へと視線を遣る。
長くて光沢のある、漆黒の長髪が一番に目に入ってきた。
壮平はその肩へと、迷わずに手を置いた。
「あ……」
振り返った多摩美の表情が、一瞬にしてぎくりと固まった。
驚きに開かれたその瞳に、同じように目を丸くさせて、口を半開きにさせている壮平の姿が映り込む。
自分の行動に、今更になって驚いていた。本当に咄嗟の行動だったから、どう言葉をかけようだとか、何も考えていなかった。
そのままお互いに見つめあった。二人の横を、よぼよぼと歩くおばあさんだけが通り過ぎていく。
やがて、二人を包みこむ沈黙を破ったのは、壮平の方だった。
「ど……ども。コンチハ」
しばらくじっと壮平を見つめていた彼女が、そこで小さく吹きだす。次第に声をあげて、あははと笑いだす。
それから控えめな笑顔を壮平に向けて、小さく舌を出しながら、彼女は言った。
「ばれちったか」
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