キミとぼくの竜。

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第二章の3



 博物館を出たのは、それから二時間経ってからだった。
 普通ならば三十分もしないほどで出口へ向かうのだが、二人はその四倍以上の時間を費やしていたのだった。

 出る際に、にこにこと満面の笑みを作る博物館の役員から、「あなたたちって良い『蛇カップル』よねぇ」なんて言われてしまった。
 はい? と目を剥く壮平の隣で、「いやですわぁ奥様ったら」と愉快な笑い声をあげて、多摩美は役員を小突いた。
 その耳はほんのりと火照っていた。


 それから近くのベンチにて、しばらく休憩することにした。座る時、一瞬だがくらりと多摩美がよろめいた。慌てて支えてあげると、「やっばい。久々に興奮しすぎて疲れたぁ」と彼女はぺろりと舌を出した。少しだけ顔色が悪そうにも見えて、壮平が「大丈夫か?」と問いかけると、彼女は「しばらく休めば大丈夫」と、にこりと微笑んだ。

 ただ黙って座っている間にも、壮平の頬は自然と緩んでいた。未だに心は跳ねまわる。こんな感覚は初めてだった。一緒に話をしているだけで、とても楽しいだなんて。
 もっと彼女のことを知りたい。そうも思った。

 だから、気付いたら壮平は、自然とその質問を口にしていたのだった。

「なんで西原さんってさ、そんなに竜のことが好きなの?」

 問われ、彼女はぴくりと小さく反応した。しばらくは、何の返事もない。疑問に思って見れば、その顔は徐々に伏せられていった。
 あれ……? 思わぬ様子にうろたえる壮平の前で、多摩美は大きな息を吐いたのちに言った。

「竜はさ……。私にとって、唯一の"英雄"なんだよ」

 そう告げる彼女の表情がどこか寂しげに見えて、壮平はどきりとした。

「小さい頃にね、お母さんに読んでもらった絵本があるの。ある村に住む、病気がちな女の子と、神様として崇められている竜が出て一緒に遊ぶっていうお話。
 そこに出てくる竜はね、すごく格好良いんだ。困っている村人の力になったり、悪い人を懲らしめたり。時には雨を降らせて、作物に実りをもたらすの。すごいよね。
 中でも一番思い出深いシーンがあってね。それが、女の子を背中に乗せて、竜が空を飛ぶシーンなんだ」

 今でもすごく覚えているんだよ。向かいにある大きな窓の外の青空を眺めながら、多摩美は言った。
 壮平もつられてそちらを見やる。雲一つない澄んだ空が、自分たちの遠くに悠々と広がっていた。

「すっごくすっごく惹かれたんだ。竜の背中に乗って大空を飛べるなんて、どんなに素敵なんだろう、て。その女の子に嫉妬しちゃったくらいだもん。
 それで、私も竜に乗ってみたいな、とか、会ってみたいなぁ、とか強く思っちゃって。竜のことを考えると、それだけで色々なことを忘れられて幸せになれる。だからそれ以来、竜は私の心の支えになったの。
 とにかくね、いろんな図監を漁ったり写真を見たりして、竜について細かく調べていったの。家族から飽きられるほどにね。
 だって、そうしたら、いつか本当に会えるような気がしたから」

 多摩美の声は少しだけ湿っていて、けれど芯の部分では力強さを持っている。
 壮平は耳を傾けつつも隣を見た。窓の外から注いでいる陽の光を受けて白く輝く横顔は、なぜだか薄い陶器のような儚さを感じてしまう。

 ――彼女は何か、大きな物を抱え込んでいるのだろうか。

 ふと、そんなことを思ってしまった。
 
「……なぁんてね」ふいにこちらへ顔を向けた彼女は、意地悪い笑みを作った。「ごめん。なんか湿っぽくなっちゃったね」
「いや……。そんなことはないけど」

 何かあったの、と問いかけようかと思った時だった。 

「さぁて、と。そろそろ時間も時間だし、帰ろっかな」
「え?」慌てて鞄の中の携帯を取り出して、時刻を確認する。「まだ三時だけど?」
「うちの門限、きつくてさ。早く帰らないと怒られるんだよね」

 多摩美はゆっくりと立ちあがると、「ごめんね先輩」と小さく微笑みながら謝った。

「あ、帰りは一人で大丈夫だよ。そんじゃね、先輩。今日はどうもありがとう! また機会あったら、よろしくね!」

 壮平が「待って」と声をかける間もなく、彼女は手を大きく振ったのちに、出口へ向かってさっさと歩いていってしまった。
 その後ろ姿は、すぐに見えなくなった。


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