キミとぼくの竜。

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第二章の1



 その週の土曜日。
 壮平は、大学近くにある駅の改札口で、多摩美を待っていた。

『送信者:西原 多摩美
 題名:無題
 内容:明日の午前十時に、○○駅の改札口近くにて待たれよ』

「……なんだかなぁ」

 昨日の夜に突如として送られてきたメール文を改めて読み返し、壮平はつい苦笑を漏らした。もうちょい可愛い文面にすりゃ良いのに。
 思いつつ、時計を確認してから携帯をパタリと閉じた。九時四十分。ちょっと早かったかな。

 お互いのアドレスを、あの日の別れ際に交換していた。レポートのお礼がしたいと申し出た時に彼女が提案したのだ。

『ならさ、ちょっと一緒に行ってほしい場所があるんだ。周りに色々と誘ってみたんだけど、皆から断られて寂しかったんだよねぇ。
 詳しくはあとで連絡するよ。とりあえず、アドレス交換しよ!』

 そういえば、一体どこへ行くのだろう?
 ちょうど電車が到着した後なのか、人が大勢吐き出されていく改札を眺めながら、ふと思った。多摩美へメールしてそれを聞いてみたものの、「当日教えるよ」の一文だけしか返ってこなかった。ここの近くに何かあったっけ、と壮平は考えを巡らす。

 ふと、ここらで大きなモールが最近になって出来たことを思い出す。都心からわずかしか離れていないのだが、田園地帯が多く広がっており、「都心近くにあるのどかな田舎」として有名なこの地域としては珍しいことだった。もしやそこか?
 改札口から出てくる人は、若い子や親子連れが多い気がする。そして彼らはほぼ同じ方角へと足並みを揃える。そちらへ視線を向けると、バスが一台止まっていた。モール直通無料シャトルバス、と書かれた大きな文字が目に飛び込む。
 ……なるほどね。これで大体の目星はついた。

 場所も気がかりではあったが、それよりももっと重要なことがある。
 休日。女性と二人。どこかへ出かける。
 そう。これは、世に言う『デート』てやつなのだ。――多分。

 家を出る前、壮平は着ていく服について悶々と頭を悩ませていた。はてさて、どうしたものか。
 変に着飾ってもおかしいだろうし(別に付き合っているわけじゃないのだ)、あまりチャラけた格好をしたら失礼かもしれない(そもそもチャラけた服など持ってはいないが)。
 結局は普段と同じ、グレーのTシャツに擦れたジーンズという、ラフな格好に決めたのだが。

「にしても、遅いなぁ」

 今度は左手の腕時計で時刻を確認する。もうすでに十時を過ぎていた。きょろきょろと周りを見渡す。さきほどよりも多くなる人混みの中に、待ち人の影すら見当たらない。
 どうしたのだろう。まさか、来る途中で何かあったか?
 ――いやいや。あまり焦ってはいけないぞ壮平、と自分へ言い聞かす。女性は何かと準備に手間がかかるというし、きっとそれで――

「ちぃっす!」
「どぁっ」

 突如として背中に強い衝撃を感じ、前方へと倒れかける。壮平はなんとか踏ん張って、慌てて顔だけ振り返る。
 そこには陽気に笑う多摩美の姿があった。すらりとした長身の体躯には似つかわしくない、少女みたいな無垢の笑顔で。
 恐らくは自分の背中をど突いたであろうその両手を、今度はひらひらと振りながら、

「ごめんね先輩。あまりに楽しみだったもんで、全然寝れなくって。挙句には寝坊しかけちゃった」
「そ、そうなの……」

 だからといって、不意打ちにど突いてくることはないだろうが。
 いてて、と若干痛む背中をさすりながら、壮平は多摩美と向き合う。思わず目を見張った。小さな花柄がちりばめられた紫のワンピースは彼女の痩躯な身体をふわりと覆っていて、袖のフリルが可愛らしくひらひらと揺れている。足元にあるピンクのヒールには、小さなリボンが一つだけちょこんと付いている。
 素直に思った。可愛い。
 ぽうっと見惚れる壮平の前で、多摩美は自分の手元へと視線を遣る。ベルトの部分が何かの爬虫類の鱗になっている腕時計を見、「よし、十時十分だ」と呟く。

「それじゃあ、早速だけど。行こっか!」

 辺りにお花畑が浮かびそうなほど、幸せオーラ全開の笑みを浮かべた彼女に、無理やり引っ張られる。壮平は足をもつれさせながらも、なんとかついていく。
 方向はやはり、あのバスが止まっていた場所だった。

「そういやレポート、無事に受け取ってもらえたの?」
 
 自分たちがバス停に着いたのと同時に、次のバスがやってきた。二人で一番手に乗り込み、奥の席へと並んで腰かけると、多摩美が尋ねてきた。
 窓側に座る彼女との近い距離を感じ、壮平はロボットのごとくかくかくと頷く。「良かったじゃん!」と彼女はにこりと笑った。

 多摩美はあの日、書きたいだけ書き終えると、さっさと帰っていったのだ。だから、壮平がのちに付け加えた第四章のまとめの文を知らない。「竜はとても神秘的な生き物だということが分かりました」という、今までと一変してあまりにもそっけない一文で締めくくられた、ちぐはぐなレポート。
 多摩美の笑いに釣られるように、あははと自分も苦笑いしながら思った。先生が不審に思わなければいいけれど。

「で……でもすごいよな、あのレポート」話を逸らすため、慌てて口を開いた。「すげぇ完璧だったと思う。全部読ませてもらったけど、本当、資料なしでよくあそこまで書けたもんだよ」
「だから。あれくらいのこと、常識でしょ?」

 いやいや、常識でもないだろう。
 言おうかと思ったけれど、真面目な表情で首を傾げる多摩美を見て、あぁ、となんとなく理解した。この子にとってはそうなんだろうな、きっと。

「じ、じゃあ、斎藤のレポートもあんな具合に書いたんだ」
「あぁ、『西洋と東洋の竜の違い』ってヤツ? まぁ、そりゃあねぇ」

 当然じゃん、と得意げに鼻を鳴らしたのちに、多摩美は視線を落とした。

「ただ……。自分で題目決めて書いたくせにさ、実はあのレポートを書くの、辛かったんだよね」

 へ? と思わず素っ頓狂な声が壮平の口から漏れた。見れば、窓の外へと視線を逸らして苦笑いしている多摩美の横顔がある。

「西洋と東洋じゃ、竜の扱いって違うんだよ。

 東洋の竜、つまり私たちがよく知ってる竜っていうのはさ、とても神性で偉大な存在ってイメージが強いじゃん。
 でも西洋じゃ全く逆なんだよね。その顕著な例が、中世ヨーロッパの竜。
 そこでは、竜は人畜を悩ます悪い生き物として描かれているんだ。村を荒らしたり、生贄を要求したり……。随分と嫌われ者なの。
 で、そんな竜を英雄が退治する。そういうのが流行ってたわけ。ジークフリートの竜退治伝説とかがそうだね。
 これはほとんど、キリスト教のせい、なのかな。教会が竜を悪の存在と決めつけて、それを退治するという聖人伝説によって布教しようとしたのが狙いってわけ」

 ふいに、多摩美がこちらへ視線を遣った。

「ねぇ、ひどいと思わない? 竜を布教の道具にするだなんてさ」
「ま、まぁ……それは……」

 いつの間にか全ての席が人で埋め尽くされたバスは、「発車しまぁす」という運転手の合図と共に、発進した。ブロロ、と唸るエンジン音と振動が、足の裏へと伝わる。
 しばらく二人の間には、重低音に響くエンジン音と、他の乗客の浮きたつ声だけが包み込む。彼女はただ窓の外を眺めて、なんだか寂しそうな表情を滲ませている。
 彼女にとっては、やはり本気で辛いのだろう。恐らく、冷蔵庫に取っておいた大好物のデザートを誰かに食べられたと分かった時の、あの悔しさの何倍ものダメージを負っているのだろう、と壮平は勝手な想像を膨らませる。
 なんだか気まずくなって、そっと頭を掻く。……うーん。もうちょい、気の効いた台詞を言うべきだったかな。
 ……よし。

「確かに、ヒドイとは思うけどさ。でもそれも、また竜の格好良い一面じゃないのかなぁ……なんてさ」

 ははは、と笑いながら壮平は言った。我ながら月並みな発言だなと思いつつも。ちらりと彼女を窺ってみる。

 最初はきょとんとしていた多摩美の表情が、次第に華やかな笑顔へと変化して、やがて彼女は周囲の乗客が驚くほどの大きく上ずった声をあげた。 

「やっぱりぃ! 壮平先輩って、すごくよく分かってるよね、竜のこと!」
「……はい?」
「友達とか私の知り合いだったら、『そんなのどうでもいいじゃんー』て言うだけなんだけど! あぁ、先輩だけだよ! 分かってくれたのっ!」
 思わぬ反応に、壮平は、たははと苦笑を漏らす。「そ、そう?」
「うん、一緒に付き合ってもらって、ホントに正解だったよ!」

 多摩美は更に目を輝かせた。そして言った。

「あぁぁ、これからの博物館がめっちゃ楽しみ! 先輩に、もっと竜の魅力を教えてあげなくちゃね!」

 ――ん? 『博物館』?
 ふと、運転手の背にある電光掲示板に表示されていた『目的地の案内』が、とある広告へと移ったのを目にした。
 

 『只今、モール内一階の展示室にて、"蛇の博物館"を開催中! 世界中の蛇を生で見られるチャンス!』


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