自動販売機な、わたし

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 がらん、と小気味良い音を鳴らしながら、オレンジジュースの缶が落ちてきた。友達のなすみんは自動販売機の取り出し口に手を突っ込んでそれを取り出すと、プルタブを開けてごくごくと飲み始めた。

「うーん、美味しいっ! 新学期早々に飲むジュースは、やっぱ新鮮でサイコー!」
「何言っちゃってるの、なすみんは」

 あはは、とわたしも笑いながら、すっかり錆びついている投入口に百円硬貨を入れる。ぶいん、と鈍い音を発した後に、自販機はがたごとと大きな音を立てた。
 いつものようにココアを選択すると、数秒経ってからがらんと音がした。手に取るとその冷たさが心地良い。両手で包み込みながら、自分の頬にぴたっとくっつけてみた。
 何やってるのよ圭ちゃん、となすみんも真似してきた。しばらく二人でその格好で見つめあう。ぶっと吹きだしたのは、同じタイミングだった。

 ※

 その自販機は、通学路でいつも通っている商店街にあった。ずっとシャッターが閉じられたままのラーメン屋さんの前で、一人ぽつんと立っている。田舎のためか、百円で買える貴重な自販機は周囲にこれしかない。赤色の身体は所々剥がれていて、下の方が少し凹んでいるのが特徴的だ。
 その古ぼけた姿を見る度に、まるでよれよれのおじいちゃんみたいだ、とわたしは思った。そんなおじいちゃん自販機を、わたしたちはよく利用している。

「にしてもさぁ、ホント良かったよ。最後の学年で、圭ちゃんと一緒のクラスになれて」

 ぷはぁ、とオレンジジュースを飲んだ後に、なすみんが笑いかけてきた。わたしもうんと頷きながら、ココアを一口飲む。その優しい味と甘さに、頬が蕩けそうになった。

「わたしも。二年の時みたいに離れ離れになったら、どうしようかと思った」
「だよねー。しかもさ、担任もサイコーじゃない? 一年の時の寺田だよ? あのおじいちゃん、物腰がすごく紳士みたいだから私のお気に入り」
「ていうか、皆のアイドルなんだよ。寺田先生は」

 指摘してあげると、それもそうだねぇ、となすみんがまた笑った。


 わたしたちは、ラーメン屋さんの入り口前にあるコンクリートの段差に並んで腰掛けた。しばらくは、互いに黙り込みながらそれぞれのジュースを飲んだ。
 今日も商店街は静かだった。ずらりと肩を並べているお店のほとんどは、相変わらずシャッターの壁になっている。時折生温かい風が吹いてきて、桜の花びらが舞うのと同時に、向こうの道路でからからと空き缶が転がった。道路の真ん中で、黒猫が一匹日向ぼっこするかのようにどてんと寝転がっているのが、なんだかかわいいなと思った。

 ふと、二年前の入学式の日――初めてなすみんと知り合い、初めてこの自動販売機を利用した時のことを思い出した。この商店街はいつからこんなに寂しいのかな、となすみんに訊ねた記憶がある。彼女は頭を掻きながら、「私も知らない。遥か昔から、じゃないのかな?」なんて、たどたどしくも答えてくれた。
 だとしたらこの自販機も、そんな遥か昔から、ここに立っていたのかな。
 何度も考えていることをまたなぞりながら、わたしは振り返った。一人ぽつんと立つおじいちゃん自販機は、相変わらずじっと立ち尽くしている。誰かを待ち呆けているようにも見える。
 そんな姿についほっと安心してしまうのは、なんでだろう。

「ねぇ、圭ちゃん。修学旅行のホテルさ、綺麗で豪華だといいよね」
 そのなすみんの言葉に、思わず笑ってしまった。「何それ。修学旅行なんて、まだずっと先の話じゃん。今日、始業式やったばかりなのに」
「あのねぇ。時間なんて、あっという間に過ぎていっちゃうんだよ?」

 なすみんの顔は真剣そのものだった。
 そうかなぁ、とわたしは曖昧に答えるしかなかった。

「そうなんだってば。ほら、だって気付けばもう三年生。卒業式もあっちゅーまだよ。
 というわけだから、せっかく同じクラスになれたんだし、修学旅行は絶対同じグループになろうね! そうそう、またお菓子作ってあげるからさ」         

 はいはい、とわたしが言ったら、はいは一回で宜しい、となすみんに肩を叩かれた。二人分の笑い声が、商店街に大きく響いていく。道路の真ん中で我が物顔に寝ていた黒猫が、みゃあ、と煩わしそうに鳴いた。それが余計におかしくて、更に笑い声をあげた。


 こんな風に胸がふわふわして幸せな気分になるのは、今日で三回目だな、なんてふいに思った。
 午前中、クラス分け表の前で、わたしとなすみんが二人抱き合って喜びあった時。
 そして、もう一つ――同じクラスの男子の名簿に、あの人の名前が書かれていたのを発見した時。

 最初は信じられなくて、新しい教室に入ってからずっとちらちらと周囲を見渡した。そしたらやっぱり間違いなんかじゃなくて、彼が――稲田君が窓際の一番隅に座っているのを見つけ、わたしは心の中で一人舞いあがった。
 なすみんがトイレにいっている間にもついじっと見つめていたら、彼もちらりとこちらを見た。何度か視線も噛みあった。わたしは恥ずかしくて、すぐに視線を逸らしてしまったけれど。

 ――稲田悠太君。二年の三学期から気になっている、わたしの好きな人。
 始まりはほんのちょっとしたことだった。消しゴムを忘れたから貸してくれないかと、席替えで隣になった彼が話しかけてくれた。たった、それだけ。
 だけどわたしにとっては、とても運命的なことのように思えた。あのいたずらっぽいような笑顔で、蕩けてしまいそうな優しい声でささやかれてしまった当時のわたしは、心臓がなんとか飛び出さないように押さえつけるのに必死だった。
 とても単純だと思う。なすみんからもよく、単純な性格だよねと言われてしまう。
 それから、わたしの恋心は徐々に加速していった。

 けれどこの思いは、まだわたし一人しか、知らないはずだ。
 そっと隣を盗み見る。何も知らないなすみんは、陽気に笑い続けている。わたしは笑いをそっと引っ込めると、缶を持つ手にぎゅっと力を込めた。

 ずっと待っている。なすみんが、「そういえば圭ちゃん、いい加減好きな人とかいないのー?」なんて恋話を切りだしてくれるのを。そしたら、わたしはこの想いを打ち明けることが出来ると思った。自分から言うのはどうしても恥ずかしくて、出来ないから。未だに稲田君の名前すら、なすみんの前では口にしていない。
 だけど、そんなわたしの期待とは裏腹に、なすみんはからからと笑っているだけだった。とても恋バナを切りだしてくれるような様子ではない気がして、肩を落とす。
 そういえばなすみん、今まで恋バナの話題を出してきたことがないな、とふいに気付いた。


 その時だ。遠くから、ちりんちりん、と自転車の鈴が鳴る音がする。
 同時に、なすみんの笑い声が途切れた。そちらの方向を見遣った表情が、瞬時にして固まる。
 なんだろう、とわたしもそちらへ視線を向けようとした瞬間、なすみんに思い切り腕を引っ張られた。ラーメン屋とその隣の美容院に挟まれた小道に連行されたわたしは、突然のことに目を白黒させるしかなかった。
 再び、ちりん、と鈴が鳴った。声も聞こえてきた。陽気に笑いあう二つ分の声に、わたしは聞き覚えがあることに気付いた。

 なすみんは壁に寄り添いながら、その身体と顔を硬直させていた。不思議に思ったわたしは、なすみんに了承を取ってから、陰からそっと顔を出した。
 数メートル先に、二つの学ラン姿が見えた。一人は自転車を連れながら、一人は両手を頭の後ろに組みながら、こちらへ向かって歩いてくる。
 距離が近づき、ようやくそれぞれの顔がはっきり見えた瞬間――わたしも咄嗟に顔を引っ込めた。
 手を頭の後ろに組んでいた男の子は、稲田君だった。

 どうして。なんで彼が、ここを通っているのだろう。今まで見かけたことないから、帰り道は違う方向だと思っていたのに。
 横に別の男の子がいたことを思い出してぴんときた。そうか、お友達の帰りに付き合っているのかもしれない。そのお友達であろうもう一人の男の子を、わたしは知らないけれど。
 ホントかよぉ、マジだってぇ、なんて言いあう声がどんどん大きくなっていく。時折思い出したかのようなタイミングで、ちりんと鈴が鳴り響く。わたしの胸の鼓動も更に大きくなって、破裂してしまいそうだった。
 そして二人は、わたしたちに気付かないまま、小道を通りすぎていった。


 その声と鈴の音が完全に消えてしまった後に、なすみんが表に出た。わたしも道路に出る。瞬間、春の穏やかな日差しが眩しく感じられて目を細めた。
 心臓はいまだにとくんとくんと穏やかなリズムを打っていたのに、喉の奥はきゅうと縮こまっていて、苦しかった。

 わたしはそっと、なすみんを見た。
 そこに予想もしてなかった表情が張りついていたので、思わず息を呑んでしまった。
 なすみんは、悔しそうに口をぎゅっと一文字に結んでいた。そして大きく見開かれた瞳で、稲田君たちが去っていった方向を、食い入るように見つめていた。驚いたわたしは、しばらく呆然とその姿を見ていることしか出来なかった。

 一体どうしたのだろう、なすみん。こんな思いつめた表情、初めて見る……。

「……行こう、圭ちゃん」

 突然、なすみんがわたしの腕を引っぱった。ちょっと待って、ともう片方の腕を伸ばそうとした時に、わたしはようやく、缶を握りっぱなしだったことに気が付く。

 茶色の染みとなったココアが、わたしの制服にこびりついていた。
 


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